何が重要? 2008/02/09
画質とか描写力とかいつも書いているけど、私が一番気にしているのは何だろう?
仕事で日常的にデジタル画像をレタッチしていたことがあるため、デジタル画像の
修正に関して、ある程度の事は解っているつもり。
商業的な最終的に印刷物となるレベルの写真を除けば、最終的な仕上がりはちゃ
んとキャリブレートされたディスプレイに表示させた時の見た目で確認すれば良いと
思っている。
もちろんプリントすることが目的であれば、そのディスプレイに表現されたそのまま
をプリントする様に再度調整する必要がある場合もあるだろう。
さて、とても良く撮れた写真を自分が望むような仕上がりにレタッチする場合、時間
さえ掛ければ、かなりの部分を修正可能だ。
その意味で私が唯一レタッチで救えないと思っているのが解像感である。シャープ
ネスと言う言い方も出来るけど、単にシャープだと言う以上に質感の描写を含めて
そこにあるモノが素直に写っているかどうかと言うことである。
ここまでが、技術的な面での私がこだわっていること。重要ではあるがある程度の
レベルが達成されるのなら、そのあたりは、ほどほどでも良いと思っている。
本当に重要なのは、写真という媒体を通じて、感動や情動を他の方々にうまく伝え
る事である。
これが私はとても下手だ。料理の写真を撮ったら、どうしても食べたくなるくらい美
味しそうに撮らなければならない。子供がかわいいと思ったら、誰が見てもかわ
いいと思ってくれるように撮らなければいけない。
私はぼちぼち写真撮影の技術面だけでなく、心を動かす写真を撮るには何をどうし
たら良いのかを考え始めなければいけない。
| 固定リンク


コメント
けーざいさんらしいご意見で、じっくり読ませていただきました。
けーざいさんの書かれていることが正しいとか間違っているとかの
感想を私は持っていません。
ある意味で正論であり、あるがままを写し取ることが重要で、それを
他の人が見て、どう感じるかはどうでも良い問題であると言う意見も
ありますので、それに対して反論できるほど写真をわかっているわけ
でもありません。
ただ、私が写した写真を見た人にその時私が感じた情動(エモーショ
ン)を伝えることができないとすると、それはやはり未熟な写真では
ないかと思ってしまうのです。
けーざいさんのお写真を拝見していていつも感じることは自由闊達で
大上段に振りかぶっていない普段着の写真であると言うことです。
これは私にはとても撮れない類の写真で、また、撮ったとしても私の
写真ですと公開することもないでしょう。
まさに、これが私の欠点で、いみじくもけーざいさんが指摘してくれ
た「写真が浮かび上がらせるものごとに、あらかじめ、ある種の固定
観念のような枠をはめてしまわれる」事です。
なんとかそのあたりの固定観念の枠を取り外せるよう、何も考えずに
写真を撮ってみることが必要だと思っています。
投稿 maro | 2008.02.11 10:24 午後
> 本当に重要なのは、写真という媒体を通じて、感動や情動を他の方々にうまく伝え
> る事である。
>
> これが私はとても下手だ。料理の写真を撮ったら、どうしても食べたくなるくらい美
> 味しそうに撮らなければならない。子供がかわいいと思ったら、誰が見てもかわ
> いいと思ってくれるように撮らなければいけない。
失礼します。この個所に先日から妙な引っ掛かりと言いますか、
違和感を憶えてしまい、
しばらくコメントを書き込んでは破棄し、書いては消しを繰り返していました。
少しじぶんのなかで整理がつきましたので、僭越ながらコメントしよううと思いました。(^^;
まず始めの段落。ここは我ながら言葉尻を掴んでしまっているのかもしれませんが、
当初きっぱり思ったのは、
「感動とは、鑑賞者が最終的に自ら感じる結果なのであって、それは写真で直接伝えようとするべきものではないのではないか?」ということです。
(いや、実に言葉尻を掴むようで申し訳ないです)
こう考えつつ、後半の段落へ目を向けますと、わたしのなかの違和感が、
徐々に増幅されていくように思いました。
「万人にとっておいしそうに見えるべく撮られた料理写真は、果たして本当に良い写真となるのだろうか?」
「誰が見てもかわいいとしか見えないと期待されている子供さんの写真は、はたして人の心を動かすのだろうか?」
何か違う、違うなぁ〜と首をひねった揚げ句、まず、おいしいとか、かわいいとかいう表現が、
あまりにも漠然としすぎていることに思い当たりました。
おいしさ、かわいらしさは、いわば写真へ与えられるべき心地よい衣装のようなもので、
漠然としているにも関わらず、それが写真から確実に意味付けられるよう、機能として求められているようなイメージです。
ここにわたしはものすごく、抵抗を感じます。
もともと写真が持つリアリスティックな表現の可能性とは、相いれないのではないでしょうか?
また、写真が浮かび上がらせるものごとに、あらかじめ、ある種の固定観念のような枠をはめてしまわれるところにも、抵抗を感じます。
乱筆乱文陳謝。(^^;
投稿 けーざい | 2008.02.11 03:26 午前